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酷暑お見舞い申し上げます。。。

暑中見舞2022

今年の夏はさらに暑いですねぇ〜〜!!!
久しぶりの投稿になります。

この写真は今年6/19の『尾道映画祭』関連イベントでのパフォーマンス時のものですが、この日も夏の暑さでした。

今年は梅雨があっという間に明けて、夏の暑さとなりました。
今はまだ8月に入ったばかり。
夏が長くなり、エアコンの電気代が心配です。
集中豪雨や熱中症、そして終わりの見えない新型コロナの流行。
各地の皆様お気をつけください。

私は酎ハイ飲んで日陰で息を潜めています。


他のSNSメディアに書き込むことが増えて、ブログ更新頻度が明らかに減ってしまいました。
投稿の仕方も忘れそう。
これからも長い文章はこちらにアップするつもりです。

月日は百代の、、、

  • Day:2021.10.21 14:54
  • Cat:言葉
このブログ更新に長く間が空いてしまいました。

新型コロナ感染拡大の心配が続き(”コロナ禍”という単語はいつまで経っても馴染めないなぁ)、
県境を超える移動があまり歓迎されない状況が長く続いています。
漠然と「旅がしたいなぁ」という気分の時、以下の文が口をついて出てきます。

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月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ 馬の口とらへて老いをむかふる物(者)は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、・・・

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言わずと知れた、松尾芭蕉の『奥の細道』序文。
流石の名文だなぁ〜〜。
中学か高校で暗唱の練習をしました。
おかげで、細部は不正確ですがいまだ憶えています。

われに五月を

  • Day:2020.03.18 18:54
  • Cat:言葉
同じ時代をかすって生きてきた人間として、寺山修司氏の言葉を時折思い出します。
その中でもその都度ハッとさせられるこの詩を、今書き留めたいと思います。
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 きらめく季節に
 だれがあの帆を歌ったか
 つかのまの僕に
 過ぎてゆく時よ

 夏休みよ さようなら
 僕の少年よ さようなら
 ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい
 本 すこし
 雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

 萌ゆる雑木は僕のなかにむせばんだ
 僕は知る 風のひかりのなかで
 僕はもう花ばなを歌わないだろう
 僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
 春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
 そうして僕が知らない僕の新しい血について
 僕は林で考えるだろう
 木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
 さようなら

 きらめく季節に
 だれがあの帆を歌ったか
 つかのまの僕に
 過ぎてゆく時よ

 二十才 僕は五月に誕生した
 僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
 いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
 はにかみながら鳥たちへ
 手をあげてみる
 二十才 僕は五月に誕生した


 『われに五月を』より
 「五月の詩・序詞」 寺山修司

今年の三が日

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尾道で彼女とワンコと共に年越しをし、千光寺にて初詣。
夕方に大和町へ移動。
父が独居する実家に一年ぶりに三兄弟とその家族が揃う。
二人の甥っ子も大きくなった。
それぞれ仕事と受験準備もあり、二日の昼前にはそれぞれ帰途に。
私ひとり残り父とおせちの残りをつつき、台所の掃除などして三日に尾道に戻る。
今年83歳になる父も元気そうで一安心。
普段なかなか連絡するのに気が重く、そのくせ心配だけはしている。
今年はまめに帰ろう。

のんびりと暖かな正月でした。

新年に

谷川俊太郎氏の有名な詩に「生きる」というのがあります。
二十歳の頃に知って好きになり、折にふれ思い出します。
この詩は

「生きているということ
 いま生きているということ」

とはじまり、詩人ならではの視点でハッとするような生(命)の実感が述べられていきます。
その中のドキリとする一節

「すべての美しいものに出会うということ
 そして
 かくされた悪を注意深くこばむこと」

ここがこの詩の肝だと思うのです。
そんなことを改めて思い出す年のはじまり。
情報が作り出す熱狂に飲まれないこと。
この詩は

「人は愛するということ
 あなたの手のぬくみ
 いのちということ」

という言葉で閉じられます。
本質は?本当に大切なことは何か?
自分に問い続け考えることを肝に命じて、本年を過ごしたいと思います。

谷川俊太郎「生きる」