3.11

5年前3.11を経て、これまでと同じではいられないと思った。
変わらなければいけないと考えた。

あの日は神奈川県大和市の友人の仕事場にいた。
大きな揺れに外に飛び出した。地面が揺れていた。
隣の工事現場のクレーン車が倒れてくるんじゃないかと気が気じゃなかった。
いよいよ首都直下型地震か!とラジオに耳をすませた。
次々入ってくる東北の被害情報。
大地震とそれによる津波で大変な被害が出てるらしい。まだ情報が錯綜していた。
東京も電車が止まり、交通渋滞で帰宅できなかった。
友人が気をきかして都心とは逆方向の伊勢原へ車を走らせ、宿をとってくれた。
翌朝も緊急地震速報があり、ドキドキしながら仕事場へ向かった。
それからの不安な日々。
福島第一原発からの放射能汚染。
東京でも計画停電や、ガソリン不足、物資不足があった。
節電で暗くなった駅舎や街。
仕事してる場合なのか?と考えながら、毎日職場へ向かった。
仕事なんかやめて、被災地支援に行くべきじゃないのか?
いや東日本から避難すべきじゃないのか??

あまりにも脆い均衡の上に成立していた大都市東京のかたち。
首都圏への電力供給のための原発の事故で故郷を追われることになった人々。
とてもアンダーコントロールされてるとは思えないフクイチのその後。
それでも原発政策を進める経済最優先の行政。既得権益にしがみつく政治家や経済人。
なにが真実かわからなくなった報道。

5年経ってもあまり日本は変わってないようにも思える。
あのときみんないろいろ考えたはずだ。
いや動き出した人はたくさんいる。
人のことより自分自身から変わらなければ。
そんな思いを新たにする5年目の3月11日。

あらためて18,455人もの亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

2011年3月のブログ

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